ソフトウェアの世界に「オープンソース」というものがある。
「ソース・コード」が「オープン」だという意味で、コンピューターのソース・コード(プログラム)を一般公開してしまった類のソフトウェアのことだ。例えば、Linuxという基本ソフトがある。これはフィンランドの一個人がソフトウェアの原型を作って一般に公開し、腕に覚えのある世界のエンジニア達がよってたかって改良を加え、日々増殖を繰り返している。オープン・ソースのメリットは、こうした世界のエンジニア達の無償の協力によって自己増殖的に改良が加えられていくことだろう。改良に加担したエンジニア達には金銭的な報酬はないが、公開されているソースコードの一部に自分の知恵が反映されることに感激するのだろうか、そんな動機でエンジニアの輪が広がり、どんどん改良されていくのだ。Linuxの他にも、インターネットに使われるメールサーバーやウェブサーバー用のソフトウェア、データベースのエンジン、Microsoft Officeのようなオフィス製品、さらに最近では企業情報システムの中核として使われるCRM(顧客管理)製品の領域にまでオープンソース化が進んでいる。
「オープン」の反対は「クローズ」だが、クローズなソース・コードといえば中身が一般に公開されていないもので、かつてソフトウェアといえばクローズ(非公開)が当たり前であった。たとえばMicrosoftのWindowsやOffice等はユーザーからバグ(欠陥)を指摘されて公開を要求されてもなかなか公開しなかった。しかし最近ではLinuxにならってソース・コードを一般公開する例が後を絶たないのだ。Windowsを抱えるMS社もこうした流れに対抗するため政府関係者に限ってソースコードを公開するよう方針転換せざるを得なかったようだ。
オープンソース化が進んでいるのは、クローズな製品で多額のライセンス料を取るくせに十分サポートしてくれないソフトウェアベンダーへの不満が鬱積し、2000年以降の景気後退時にIT投資熱が一服して製品の供給過多となって製品価格が極限まで切り下げられたからだと見ている。このほか、特定の私企業(MS社等)の事情に自社のシステムや製品を依存させたくないからという見方もあろう(デジタル家電などで広く使われている組込LinuxやμITRONなどはこの流れ)。
クローズな世界では競合するソフトウェアの間には基本的に互換性がなく(ウィンドウズとマックはそのままでは互換性がない)、ユーザは一度製品を選択するとずっとその製品が提供する世界でしか活動できなくなる。一度製品を買ってしまったら、いくら不満があろうが最初から買い換えない限りその製品を使っていかざるを得なくなる。企業側から見ると、一度顧客に製品を選択してもらえれば製品に引き続いて各種売上(製品の追加購入やアップグレード等)が付随すると期待され、簡単には逃げられないと知っているので、多額の営業費用・接待を使って懸命に顧客を囲い込みに走るようになる。ユーザーはこうしたベンダーのエゴによる囲い込みに反発したわけだ。
オープンな世界ではプログラムそのものにはお金がかからない(かかっても僅少)ため、ビジネスのあり方や行動パターンが違ってくる。まず、プログラムの提供側はプログラムではビジネスにならないのでプログラム以外の部分(サポート等のサービス)で収益を上げるよう動機付けられる。プログラムの使用側はプログラムがほぼ無償で手に入るため初期コストは安く済むのであろう。しかし、自己責任で解決しなければならない問題が増えたり、サポートに多額の費用を払うことになる場合もあって、いいことばかりではない。IT担当者にとっては頭の痛い問題だともいえるし、ビジネスチャンスとも言えるだろう。
オープンソースは一般ユーザにとってはまだまだ遠い存在だが、製品提供者側では着々と裾野が広がっていそうなので、さらに拡大していくかも知れない。
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