量子コンピューターという新しい技術がある。
とても抽象的でとっつきにくい技術のようだが、私なりに噛み砕くとこういうことだ。現在のコンピューターで使われているビットの世界では"0"か"1"かの2種類の信号で世界のすべてを「表現」しようとしているが、量子コンピューターの世界では一つの量子が表現できる情報の種類を何種類、何十種類にも増やして飛躍的に多くのことを「表現」させ、そうした多くの情報を持つ量子同士を加減演算させることで、ビットの世界に比べると桁違いに多くの演算を一気に実行してしまおうという試みのようだ。でも、細かいことはあまり突っ込まないで下さい、今日のテーマは量子コンピュータそのものではないのだから。今日のテーマはこうした最先端技術に対するナショナリズム的な流れについてだ。
アメリカ政府は米国内で開発された量子コンピューターの海外持ち出しを禁止しようとしているらしい。まだ実験室を出ていない基礎研究段階にある技術であるにもかかわらず、である。これにはショックを受けた。
バイオ・テクノロジーにしてもナノ・テクノロジーにしても、世界の先進各国はそれぞれ独自に研究開発予算を投じて、技術レベルを上げてきた。アメリカがどのようにバイオ・テクノロジー分野で世界に先行したのか詳しい事情は知らないが、恐らくアメリカ政府による財政的支援、世界中から集まる研究者の層の厚み、豊富な民間投資マネー等が重ね合わさって発展してきたのではないか。その結果、世界に先駆けてバイオの一大産業を築き、世界を大きくリードしたのではないかと考えている(この見解、あってますか?)。ここから導かれる仮説として、将来性のある技術はまず自国内で開発して競争力を高めることで後々世界をリードすることが出来、ひいては自国の利益になる、ということになる。
バイオで出遅れた日本はナノテク分野では同じ轍は踏まないようにと、この分野では米国に匹敵する(米国以上の?)予算を投じて研究開発に力を注いでいるようだ。結果はまだ出ていないが、数年後には状況が見えてくるだろう。
先の仮説が正しいとすれば、最先端技術の開発はその後の経済力に影響してくるだけに、将来の経済力を考えるとどうしても自分の国で確保して起きたくなる。これが技術ナショナリズムが進む背景となる。ナショナリズムのような考え方は一方で「博愛主義」を掲げるアメリカの国是に反するため、通常この手の話はオブラートにくるまれて表舞台でささやかれることはない。しかし、今回の量子コンピューターの一件では、どうやらなりふり構っていられず、はっきりと出てきてしまったのかも知れない。
とても気になる傾向だ。研究者たちは恐らくもっと博愛主義で、世のため人のために研究に励んでらっしゃるのだと思うが、富が絡んでくるとどうもきな臭くなる。
世界は甘くないのかも知れない。
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