大学の同窓会から会員名簿が送られてきた。しげしげと眺めていると、同年代の異動が多いのに気がつく。転勤、引越、出向、転籍、転職、いろいろだ。
そんな中、日本の大手ゼネコンで構造設計を行っていた先輩が会社を辞め、まったく畑違いのフィナンシャルアドバイザーに転じているのに目が留まった。保守的なイメージの強いゼネコン業界から転職があるというのに驚くが、その方は優秀な方で、その大手ゼネコンの設計部を支える有力な人材と目されていたこともさらに驚きだ。背景には公共事業削減による建設業界全体の縮小、あるいは姉歯建築偽装問題による規制強化で仕事がしにくい、といったものがあるのかも知れない。何とも残念な話だが、この問題、先輩の転職というような単純な問題では済まないような気がする。
ゼネコンを頂点とする建設業界では(本当の頂点は国交省かもしれないが)、ゼネコンの下に、下請け、孫請け、曾孫請け、、、という業界構造になっており、お互いが仕事の料金やサービス内容について予め申し合わせ、共存共栄してきたのだというように理解している。そういう社会では「秩序」こそが重要であり、その秩序を維持するために「談合」は必要なプロセスだったと理解している。
しかし、予算削減で公共事業が減り、規制強化でビル建設が落ち込んでいる今、秩序とか何とか言っている場合ではなくなってきたのかも知れない。建設・土木業界は首都圏以上に地方において地域経済に与える影響が大きい。一部地方の建設業界では、激烈な競争が起こっている地域もあるとか。建設業界の凋落は地域経済の停滞をもたらす可能性もある。日本経済に大きな地殻変動が起きているのではないか。
ところで、こうしたゼネコン業界の凋落を見ていて、ふと気になるのが「システム受託開発業界」だ。80年代から90年代にかけて、大手企業や官公庁が多額の情報投資を行ってきた関係で潤った業界だ。金融機関等でしばしば数百人を動員するようなシステム開発プロジェクトが行われてきたが、こうしたプロジェクトには必ず受託開発を行う中小ベンダーが動員されてきた。NTTデータやその他大手SI企業を頂点とし、細切れにされたサブシステムの開発を多数の受託開発業者が請け負って底辺を支えてきたわけだ。
しかし、中国・インド等でのオフショア開発の広がりや、パッケージソフトが高機能化したこともあるのだろうか、ここ数年は業界全体に勢いが無いように見える。
市場全体のパイが縮小しているとしたら、業界内で淘汰が起こるのは必至。そうだとしたら、これら企業は受託開発が残っている違う市場を見出すか、他の事業(ソフトウェア開発業等)に転換を迫られる企業が少なくないのではないか。
つらい話だが、ポジティブに捉えれば、日本のSI業界が変化してWeb業界やソフトウェア業界に人材が投入されうるという事かもしれず、そうした新しい業界の発展という意味では悪くないのではないか。
建設業界にしてもSI業界にしても、環境変化に対応できた者だけが生き残るという事かもしれない。
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