新事業や新商品の企画する時、将来の売れ行きを予測するのはとても難しいものだ。世の中に大ヒット商品なんてそうそうあるわけではなく、新しく企画した商品がそこそこ売れればいい方、まったく売れないものもそこらじゅうに転がっているのではないか。
売れない商品を作ったり仕入れたりしたら不良在庫が積み上がってしまうのでビジネスとしてはマイナスだ。だからビジネス上の判断はどうしても安全思考、つまり「大ヒットでなくてもいいからそこそこ売れてほどほどに儲かればOK」というような思考に傾いてしまいがちだ。
おそらくそんな事情があるからだろう、世の中に一度ヒット商品が出ると、そのヒット商品に少しだけありあわせの機能を追加して、より高機能な商品を作ることが多い。携帯電話の例を見てみよう。初期の携帯電話は家庭用コードレス電話の子機も真っ青の大きさだったが、やがて市場が大きくなるにつれて小型化し、そのうち他で流行っている機能を追加して、たとえば電子メールとかウェブ閲覧などの機能を追加して売り出し、さらに売れてきたらまた違うありあわせの機能、たとえばデジカメの機能を追加して売り出し、次は財布機能を追加し、最近ではミュージックプレーヤーの機能を追加し、、、、次はえーっと、テレビですか? その次は、えーっとプロジェクター、その次はえーっと、、、、、そのうち携帯電話ひとつあればAV系家電製品はみんな間に合ってしまう???
商品や技術がだんだん複雑化するにつれて、それを開発するのに必要な投資額も大きくなるため、冒険をしづらくなるのでしょう。そんな背景もあってこうした「ありあわせの技術を合体させる」ことが多いんじゃないでしょうか。
これをコンバージェンスというらしい。
携帯電話をひとつ買えば一通り何でも叶えてくれるという意味でこのコンバージェンスは誰にも恩恵を与えてくれるものだ。何しろ一つ持ち歩けば凡そのことは間に合う。電話機を持ち歩いていればいつでも写真を取れるし音楽も聴ける。このようにコンバージェンスは基本的に便利なものだ。でもこの流れがあまり進みすぎるのも考え物だ。一つの商品に何でもかんでも機能をぶち込むと、商品のフォーカスがだんだんぼけて来て、やがて行き着く先は個性に乏しいコモディティ製品になるような気がするのである。
世の中というのは実によく出来ていて、ある程度コンバージェンスが進むと、そうした汎用製品から離れて、個性豊かな製品を望む市場ニーズが出てくるものらしい。たとえば大きさを極限まで小さくしたiPod Nano、高級デジカメのCanon EOS Kiss, ハイビジョン撮影が出来るSonyのHandycam等の流れで、これらはみな圧倒的な基本性能の良さで世間をあっと言わせた。コンバージェンスとは異質な流れだ。
そして、これら画期的な新商品が新しい起点となり、以前とは違う新たなコンバージェンスの流れが始まるのだろう。
技術というのはこんな風に「画期的な新商品」→「コンバージェンス」→「次の画期的新商品」→、、、というような波を繰り返しながら進むものだと考えている。
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